「出会い系エッセイ」8,713字

人間性メキメキエッセイ
出会い系エッセイ1
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【はじめに】

 〔創作大賞2026、エッセイ部門に応募した作品です〕

 「読書⇄行動コトコト煮詰めエッセイ」です。僕の内面が読まれていくと、どんな人と出会うことができるのか、ちょっとした挑戦的な試み。

 「生きる喜びを味わうために、何か1つでも役に立てばいいな」という想いでエッセイたちが育っているので、恋人だけでなく、友達、師匠、パトロンなんかができちゃっても素敵です。

 ゆったりお読みいただけますと幸いです。

【純朴・始まり・不変的習慣】

 18の頃、2人の恩師から「大学に入ったら読書をしたらいい」と言われた。そして従った。

 記念すべき1冊目、村田沙耶香の小説、『コンビニ人間』を通学中の電車で読もうと、ブックオフで買ったのをいまだに覚えている。

 「賞獲ってるし、すぐ読めそう!」そんな適当さから始まった。

 4年後、そのきっかけは実を結んだ。大学卒業時、「哲学科成績優秀者」として表彰された(″最″優秀じゃないところがミソだ)。

 そして、入社する時は新入社員代表として社長の前で宣誓のようなことをした(大丈夫、自慢パートはこれでおしまい)。

 「読書習慣のおかげ!」そう思えるのは、大学生になるまで本に触れてこなかったからだ。

 僕の強みはここにある。18までは遊びや娯楽に満ちていたけど、あれよあれよと本を読むようになり、みるみる見違えていった。

 「読書は僕をどう変えてくれたのか」。そこをくっきり認識し、言えるようになったのは大きな収穫だ。

 18から7年が経ち、500冊は確実に読んだ。色んなものが変わったけど、読書習慣だけは揺るがなかった。

 その理由は、パタパタと展開される以下の記述でじんわりお伝えできれば嬉しいです。

【普遍的凡夫・7年・問う眼差し】

 僕は25歳男性、会社員。趣味は読書。ぼちぼち普通だ。

 ただし、若きスティーブ・ジョブズみたいにLSDをやっている訳でもないし、何かに依存・中毒になっている訳でもない。

 電車や街中でよく見る若者の1人だ。

 一方、「普段見えにくい面」として、私の習慣的行動を見てほしい。

 早寝早起き、ランニング、筋トレ、散歩、昼仮眠、瞑想、日記、マインドマップ、ブログ、信託投資、メモ、微笑み……。

 この子たちは、ご賢察のとおり「やったらよさそう…しかし二の足を踏む」ものばかりだ。

 ふむふむと本で読み、行動に移し、晴れやかな気持ちになった。だから今も僕を支えている。

 そう、ここだけ注目してもらえればモテモテかもしれない。

 さて、なかなかに試行錯誤し習慣となった。

 もちろん、何度も何度も揺り戻しにあった。PS4、旧Twitter、YouTube、スマートフォンにどれだけ時間を積み上げたのだろう?

 これらを批判/非難するつもりはない(使ってる人たちも!)。ただ、「僕たちがそれらをどれほど必要としているか」という点には疑問を抱く。

 疑問を抱くからこそ、何かのきっかけが生まれたらと願い、こうやって文章を書いている。

 こんな僕を見て、母は言う。「あなたは何になろうとしてるの?」正直、わからない。

 確かに、「何のために読書をしているのか」、「何のために『丁寧な暮らし』をしているのか」。

 お肌のお手入れや、外国語・資格勉強などとも少し違う。これらは、印象に残りやすく、実用的で好感を抱く。

 では、ひっそりと影を潜めている読書はどうなのだろう?そこをはっきりさせておこう。

 一体、何のための7年間だったのだろう?

【IC・JCT・中核的解答】

 突然だが、インターチェンジ、ジャンクションとはどんなものだろう?

 インターチェンジ(IC)は、一般道と高速道路を繋ぐ出入口で、ジャンクション(JCT)は、異なる高速道路同士を繋ぐ道(らしい)。

 仕事上、車を運転することが多いのだが、最近まで理解していなかった。ラジオや標識で何度も見て、聞いていたはずなのに。

 このことが、読書を続けてる理由に似ていると感じた。先ほどの例に沿って説明したい。

 ①ICとJCTを何度も見聞した。②ナビに従い、事なきを得ていた。

 これが調べる前の状況だ。次に調べた後の状況はこうなる。

 ①ICとJCTを何度も見聞した。②分からないので調べた。③ラジオや会話、ナビの情報が理解できるようになった。

 では本題に移ろう。まず18歳までの僕だ。

 ①いろいろと経験した。②周りに合わせていたら問題も少ないし、生きていける。

 次に、読書を始めてからだ。

 ①いろいろと経験した。②小説、ビジネス書、新書など読んだ。③自分についてや、専門的なことが(経験と照らし合わせて)ちょっとずつ理解できるようになった1

 ポイントは2つある。

 1つ目は、本を読まなくても生きていけること。

 2つ目は、理解できるものが増えたとしても、日々⇄読書(理解)のサイクルに終わりがないこと。

 もちろん、僕も本を読まずに暮らしていけた。だが、今感じている落ち着き/ゆとりはなかった。

 僕の周りは、名門大出身が多い。有名な企業の社員、銀行員、公務員として勤めている彼ら/彼女らは華やかだ。

 学歴、職歴、給料面でもなかなかに僕と差がある。だが、苦しめられることはない。なぜか?

 日々の言動・疑問が、文章によってかたどられ、新しい行動や考えに繋がるからだ。そして、7年間読んできた理由はここだ。

 「文章によってかたどられ」るとは、どういうことか?

 先ほどの話では、「人と比べない方がいい」という助言を受けることが多いだろう。

 だが果たしてそれで腑に落ちるのだろうか。

 もちろん、納得してそのことで感情が不安定になりにくいのならそれで良い。

 その聞き手にとっては適切な言葉だった、つまり「かたどられた」ことになる。

 社会人になってからも、コンプレックスを抱える人に出会い、それで悩んでいる/いない人の違いは何かと都度都度思っていた。

 ある夜、寝転がりながら『サイコロジー・オブ・マネー』という本を読んでいた。

プレイしているゲームの違いの問題だ                          

モーガン・ハウセル『サイコロジー・オブ・マネー』p.251

 この文を読み、「なるほど」と腑に落ちた。(コンプレックスとは全く関係ない文脈なのだが)この言葉によって、自分なりの理解ができたのだ。

 まさしく「日々の言動・疑問が、文章によってかたどられ」た時だった。

 読書は物語を楽しんだり、いろんな知識を学ぶだけに留まらない。

 僕らの生活にぴったり寄り添ってくれるのだ。日々を振り返る機会をくれる、と言ってもいい。

 先ほどの『サイコロジー・オブ・マネー』はちょっとした一例だ。読めば読む分だけ、このような体験が積み上がる。

 過去すべての体験、読書歴は控えるが、村上春樹、土屋賢二、國分功一郎、オードリー・タン、ロルフ・ドベリ、『最高の勉強法』、『世界は贈与でできている』、『HIDDEN POTENTIAL』……とボリューミーだ。

 読んでもほとんど忘れてしまう。それは事実だ。

 しかし、日常のあれやこれに対して「なるほど!」と感じた言葉は、ふと思い出す。

 そして次の行動、次の考え方に繋がる(モテモテ習慣も「かたどられた」ものたちだ)。

 IC、JCTのくだりでポイントが2つあった。

 ①読まなくても生きていける。②理解するサイクルに終わりがない。

 以上を経て、この2つを次のように言い換えることができるようになった。

 本を読むと、自分・周り・世界に対する「なるほどね!」な記述に出会うことが多い2

 そして「なるほどね!」はいくらでも拾い上げることができ、そこに終わりはない3

 次の節では、この論調をムッキムキにするために、森田ミツの生活をチラ見し、読書によって僕が「どのように生きやすくなった」のかを見ていこうと思う。

【森田ミツ・慮る・微笑み】

 ある女性がいる。人が苦しんでいるのは自分にとって耐えられない。だから献身的になる。そんな女性だ。

 そのため、つけ込まれて男に遊ばれてしまったり、周りからバカにされたりする。

 女性は感じる。「イヤだったなあ……」。

自分の苦しみを言いあらわす沢山の言葉を知らないミツは、(中略)、(イヤだったなあ……)ただそれだけでしか語れない

遠藤周作『わたしが・棄てた・女』(p.274 ,一部省略)

 遠藤周作の小説、『わたしが・棄てた・女』に登場する女性、森田ミツだ。

 衝撃的だった。あまりにも鋭い一文なのでよく覚えている。

 本を閉じ、「言い過ぎだろ」と、嗜虐的な楽しみ方をしていたが、だんだん「これは俺にも当てはまるのでは?」と疑問が膨らんでいった。

 「最近の人は『ヤバい』ばっか言う」、といった話ではない。

 確かに、「語彙力」的な問題とも被るのだが、重きを置きたいのは、反応の仕方(=精神的な習慣・考え方の癖)だ。

 以下、どんどこ展開していきたい。

画像1 刺激→選択の自由→反応

 画像1は、「刺激と反応の間には、選択の自由がある」という記述をもとに作成した。

 オーストリアの精神科医、ヴィクトール・E・フランクルの言葉だ。

 これは、ストレス/ストレッサー、会話、食事など何にでも当てはまる。生きていく上では、何かしらの刺激にさらされ続ける4

 だがしかし、僕らは「選択の自由」を享受しているだろうか?むしろ、慣習的に「イヤだったなあ……」と反応していないだろうか。

 今回の問いかけはここだ。

 ある男性がいる。自分が楽しんでる時、邪魔が耐えられない。だから攻撃的になる。そんな男性だ。

 これは僕だ。特に移動中が顕著で、気分が良くなってる中、道が塞がれたりすると「なんだよ…」とぶつぶつ考えたり、呟いていた。

 また、この反応は当然のことだと思っていた。イライラ、モヤモヤするのは、自然な反応だと。

 だが、「あまりにも頻度が多すぎる」、「苦痛」とも思っていた。

 そのため、「実用書を読もう!」となる。

 そして、先のフランクルの言葉、怒り・愚痴の悪影響(「もうやめやめ!」と思える)などをパクパク吸収した。

 そんな中、動きが生じたのは、次のような内容を読んでからだった。

 要約すると、「街中で会う人の幸せを願うと、不安が減り、幸福感などが高まる」というものだ5

 「これはいい!」と散歩に出て、実践した。

 ただ問題があった。心穏やかな時はちょこちょこできる。だが、ムカムカと願う心は両立しなかった(そうかもしれない)。

 あともう少しだった。自分がどんな時にイヤな感情を抱くのか、そこまではわかっていたのに。

 2026年GW。家の積読を横目に、図書館で4冊適当に借りた。

 そのうちの1冊に「If-Thenプランニング」の記述があった。「もし□□の時は**をする」のように、あらかじめ行動を決めておく、というものだ6

 図書館から帰宅して、ちょっと寝て、また本を読み、休憩した。その休憩が大切だった。

 びっくりするのだが、休憩中、イライラしていた。あったかいコーヒーを飲み、周りのことを空想し、勝手にイライラしていた。なんてやつだ!

 そして答えが出た。「もしイライラした時は人の幸せを願う」。チグハグだが、グッドな合わせ技だった。

画像1 刺激→選択の自由→反応

 ようやく気がついたのだ。

 もう一度画像を見よう。「刺激」は避けることができない、つまりコントロールできない領域だ。

 他方、「反応」はある程度コントロールできる。今回、思考のパターン化を促したように。

 「自分がコントロールできる/できないを見極めよう」という文脈は「ニーバーの祈り」などでよく知られる。

 そして、実践とともに適応し、この文脈をより深く理解したのだ。

 複数の本を経て、「日々の言動・疑問が、(中略)かたどられ、新しい行動や考えに繋が」った。今回はイライラだ。

 そう、腹を立てることは当然ではない(義務、権利でもなく、習慣的に怒っていた!)。

 もちろん、イライラが0になることはないし、対応しきれないことはある。

 けれど、すれ違う人や、家族・友達に向けて、「良い1日になるといいな」「お疲れ様です」「お大事に!」なんて心の中で思うのは、実際とても落ち着く(過去も空想もカバーできるのは大きい)7

 はて、「生きやすい」とは、どんな状況だろう?

 僕は良さげなものに囲まれているイメージが先行する。

 否定できない。ただ、その一方で悪そうなものを削っていき「生きやすくなる」という側面も見逃せない。ストレスや座りっぱなし、運動不足、嫉妬など……。

 そう、「全くなしにする」は、現実的ではない。

 「愚痴をこぼさない同僚、友人」。こんな文章に何度か遭遇したことがある。当時、理解できなかった。

 だが今ならふんわり分かる。トゲを内外に向けないよう律した結果、その方が「生きやすくなった」と感じ、そのような習慣に身を委ねたのだと。

 読書は良さげなものを積み上げてくれるだけじゃない。自分が「イヤだなあ……」と思うことをジョリジョリ削ってもくれる。

 イヤイヤしていない時間が増えること、それは生きやすさに通じている。

 次の節は、読書の微妙な点を喋る(良い点も)。

【数値化・利他・文化的分断】

 「7年で500冊くらい読みました!19歳の頃に書いた小説をAmazon Kindleに出版し400円の印税を得ました!」8

 僕はよくこの数字でアピールする(履歴書や面接で、今までのような話を誰ができるだろう!)。そして、弾切れだ。

 手取り、年齢、通勤時間。わかりやすい。大きかったり小さかったりすると良い。他方、「趣味は読書です!」と、数字との相性は×だ。

 読書が話のタネになるか?ならない理由の方が、話のタネになり、盛り上がる。

 びっくりだ!時代の流れに逆行している!

 肩身?ウケるほど狭い。話題のあれこれの話ができなくて、僕はよく天を仰いでいる9

 まとめよう。読書は、数値化と話題性に弱い。色々と注目を集めにくいと言っても良さそうだ。

 さあ、ネガティブキャンペーンは終わりだ。

 この読書の弱みを、口八丁手八丁いいように伝えていきたい10

 あえて強い言葉を使おう。ラットレースと読書は相性が悪いのだ。競争?関心経済?アルゴリズム?良くも悪くもその外にいる。

 読書家はアウトローに近い。社会的価値に片足を着けながらも、一見すると非-社会的価値を(もう片方の足で)探求しているのだから。

 読む。それは、だいたい孤独な営みだ。(私のように)読書感想文でいいねが少なくても続いていく11

 だが、本当にありがたいことだと感じる。よくある競争や、電子的都会の喧騒から本は私を守ってくれる。

 「友達の近況や、同僚と何話していいかわからなくなる?」大丈夫、僕もわかっていないけど何とかなっている12

 ちょっとした禁じ手を使う。村上春樹、『村上さんのところ』からの引用だ。

たとえ不幸せになったって、人に嫌われたって、本を読まないよりは本を読む人生の方が  ずっと良いです。そんなの当たり前の話ではないですか。

村上春樹『村上さんのところ』p.325

 不思議ではないだろうか?この前後にも「本を読む人生の方がずっと良い」理由は書いていない。

 以下では、その理由を今までの文脈で考えようと思う(だから禁じ手だ)。

 誤解されないように伝えておきたい。

 「じめじめ一人で読んでたら、じめじめした性格になるんじゃない?」そうだ、少なくとも僕はそうなった。

 急に本を読み始めて、ねちねち「読書!やっぱ読書おすすめ!」って、なりふり構わず言ってたら、確かに俺でも煙たがる。

 傲慢、高飛車、ニヒル、皮肉屋、冷笑的な部分は「ジョリジョリ削」りたかったし、そそくさ去っていきそうな友達に「待った」をかけたかった。

 おっと、何が言いたいかって?整理しておこう。

 読書は孤独な営みで、数値化や再現性、話題性にめっぽう弱い。そのため、どのように社会的価値を生み出しているのかがわかりにくい。

 その一方で、村上春樹と僕は「本を読んだ方がいい」と思っている(そして、そそくさ去っていきかけた)。

 (読書?適当に読めばいいよ!が結論だが、)この不均衡さに整合性を付していきたい。

 軽く例を挙げるなら、先ほどの「もしイライラした時は人の幸せを願う」は、なかなかに良い線をいってる(あと、註釈7の微笑みも)。

 「ご機嫌な人と一緒に過ごす/働く方がなんか良い!」そんな経験はないだろうか?

 「ある」と言ってくれたら、僕は本を読んできた甲斐がある(幸甚だ!)。それは、間違いなく社会に貢献しているのだから。

 いじわるな人はこう言うだろう。「本以外でもご機嫌になれるさ!」確かにそうだ。

 だが、持続力や、ご機嫌の再現率において桁が違いそうだ13

 相も変わらず、ここからも「読んだ方が楽しいよ、読んでみたら?」みたいなニュアンスだ。

 読書の良さ。それをボソボソ言う他ないのだ。

 ボソボソは続く。『暇と退屈の倫理学』、『世界は贈与でできている』、『オードリー・タン 自由への手紙』。これらの書籍から何となく学んだのは、次のようなことだ。

 「余裕ができたなと思ったら、なんか自分なりに還元していきなよ」という思考だ14

 還元(=社会的価値の生産)しようとし、失敗することはもちろんある。

 しかし、個々人がこのような形で、ささやかにも社会的価値を生み出そうとする姿勢は、なかなかないのではないか(「車買ったから、みんなでドライブ行こうぜ」に近いのかもしれない)。

画像2

 画像2は焼き回しだ。僕らは社会に出て働き、余暇を個人的に楽しむ。そして、社会⇄個人を行き交いする中で、社会的価値が生まれていく15

 さて、一旦このエッセイの内容を振り返ろう。 

 日々生きていく中で僕らは様々な経験をし、色んな(精神的)習慣を築いていく。

 そして、読書を通じて「なるほどね!」とびっくりする角度で気づきを得て、(悪そうなことを削る/良さそうなものを積み上げる、などを含む)新しい言動・思考に繋がる。

 これは義務でも「やるべきことリスト」でもない。さらに言えば、目立たないし、地味だし、孤独だし、モテない。

 だが、逆説的に言えば、だから「本を読む人生の方がずっと良い」のだ。

 僕らはだいたい似通っている。お金はたんまり欲しいし、楽しいことが好きだし、怠けたいし、人に見せられない部分を抱えている。

 そう、やっぱり本を読まずに生きていける。だが、ソクラテスみたく「善く生きる」には、こういった地味なことは欠かせない。

 「どう生きていきたいか」といった大きな問いに関わってくるが、読書はささやかな社会貢献に結びついている。なんせ、社会は一人一人によって構成されるのだから。

 さあ、もうそろそろ終わりにしよう。

【おわりに】

 僕の充実感のハードルはとても低い(そうしたのかもしれない)。

 ぐでーっと晴れていて、木々が育っていて、風がちょこちょこ吹けばもう満足だ。

 そんな中散歩したり、本を読めば「生きていてよかったな〜」とかなりの頻度で思う16

 友達と月に1回遊べば良い方で、恋人はかれこれ5年くらいいない。お医者さんに「休日は1人で過ごされることが多いんですね」と言われるくらい1人だ。

 さて、ようやく伏線回収ができる。僕は「電車や街中でよく見る若者の1人」だ。著名人やCEO、王族じゃない。

 それなのに、日々感じる、この満ち足りた気分はなんだろう?

 よくあることだ、「ほほう、タメになる記述」と思っていたら、すごい経歴を持っている著者ということが。

 それに比べたら、僕はたまたま大学に行けて、本をずっと読んでいる人だ。だからこそ序盤で「僕の強みはここにある」と述べた。

 いじわるな人はこう言うだろう。「成長志向で忍耐強くて、1人が好きだからそう言えるんだ!」確かにそうだ(ただ、そういった「性格」は思い込みであることが多いらしい。また、変えることも可能みたいだ。)

 さて、この弾むような感覚は、誰にでも開かれているという点で私の気を惹く。

 これが味わえるなら、「本を読む人生の方がずっと良い」と村上春樹が言うのも無理はない。

 楽しめなくなったこともあるが、それ以上に楽しめることが増えた、と付け足しておきたい。

 例は挙げないが、みんながやっていて、自分も楽しめるからといってそこに留まる理由はない(そしてまた、本を読む理由もないけど)。

 さあ、ここまで読んでくださったら、私はもうモテモテなのではないだろうか。半分冗談だ17

 こんなこと言った後で恥ずかしいが、普段の言動が日々の考えに基づいているように、その人柄は文章によく表れる。

 ″こんまり″こと、近藤麻理恵の『人生がときめく片付けの魔法』を読んだあとに、「なるほどね!こういうことか!」と分かった。とてもパワフルなのだ。

 私としては、これらのエッセイの中に自分らしさがゴロゴロ出ていて良いかと思っている18

 人柄がじんわり伝わり、「生きる喜びを味わうために、何か1つでも役に立てば」それ以上のことはない19

 創作大賞に出会えなかったら、こんな分量と熱量でしたためる機会は巡ってこなかった。

 最後まで読んでくださった方にもお礼の言葉を述べて、締めたいと思う。

 ありがとうございました!良い一日を!

【註釈】


  1. 読書は自分をさまざまな角度から理解できる。このさまざま具合で、資格勉強などと一線を画す。 ↩︎
  2. SNSや会話などもその宝庫だ。ただ、読書には、通知もラグもコメント欄もボディーランゲージも表情も気遣いもない。
    ↩︎
  3.  僕はよく散歩する。だけど一向に木、鳥などに詳しくならない。それと同じことが日々生きていく上で起こっているのではないだろうか?
     当然すべてを拾い上げることはできない。
    ↩︎
  4.  國分功一郎、『暇と退屈の倫理学』(増補新版)の付録、「傷と運命」も参照されたい。
     ここでは「刺激」と表現しているが、「傷」でも「経験」でも「感じること」でもなんでも良い。
    ↩︎
  5. 『疲労回復 最強の教科書』(p.210)、『考えてはいけないことリスト』(pp.184-185)参照。
    ↩︎
  6. 何回も読んだことはあった。
    だが、その時々では上手く作用しなかった。これもまた本を読み続ける理由に繋がる。
    ↩︎
  7.  見出し「微笑み」の回収をしよう。
     同じく2026年のGW。私はとても微笑むようになった。海外旅行や街中で「微笑んでる人いいよなあ」とぼちぼち思っていた。
     決定打は『ユーモアは最強の武器である』。本書によると、23歳から笑う/微笑む頻度がめちゃくちゃ減るらしい(p.31参照)。
     「やだ!むっつりしてたくない!」と思い、散歩や読書などで楽しんでる時、微笑もうと試みた(これも「If-Thenプランニング」だ)。
     とても上手くいった。人の幸せを願う際に微笑む。ありえないくらい温かい気持ちになる。
     あとは余裕がすごい生まれた。「ばっちこーい」みたいな感じだ。ふざけてない。至って真面目だ。
    ↩︎
  8.  官能小説です(安い)。書き終え、「もうあたしゃ満足だよ」みたいな日々が続いた。
     『肉慾の蝶番』
    ↩︎
  9.  私はサカナクションが好きなのだが、『夜の踊り子』がミーム化した話は母から聞いた。びっくり!
    ↩︎
  10.  読書をしてからなのだが、適当なことばっか言えるようになった。
     友達からは「詐欺師にならないでくれてありがとう」と言われた。
    ↩︎
  11.  共有不可能性が高い読書は、カウンターカルチャーになるかもしれない(なって‼︎)。
    ↩︎
  12.  3歳の姪っ子のSNSアカウントを知らないが、何とか話せてるのと同じように。
    ↩︎
  13. 「僕ですか?7日間、ずっとご機嫌でいる確率は70%です!」ってアピールできれば最高なのに。
    ↩︎
  14.  『不完全主義』を参考にすると、「『満たされた』とか分かんなさそうだから、とりあえず還元していったら?」という見方もある。
    ↩︎
  15.  今さらだが、「社会的価値」は広く捉えてもらって大丈夫だ。納税だったり、人と仲良くすることだったり、笑わせてみたりだとか。
     「なんか役に立ったな」ぐらいでちょうど良い。
    ↩︎
  16.  家にいる時、ご機嫌だと歌う。淑やかに踊ることもあれば、身体を激しく揺らすことも。
    ↩︎
  17.  『哲学の先生と人生の話をしよう』で國分功一郎は、「モテることは微妙」みたいなことを言っている。厳しい。
    ↩︎
  18.  「俺とか私とか僕とかコロコロ一人称変わってる!」そうだ、意図的に変えている。
     18、18歳などもそう。見た目と音!
    ↩︎
  19.  本音を言えば、「誰かと出会いたい!」それがこのエッセイのコンセプトだったはずだ!
    ↩︎

 本当にこれでおしまいです。

 ご覧いただき、誠にありがとうございました!

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